財団法人中山報恩会は、昭和15年(1940年)3月初代理事長、中山悦治翁(当時中山製鋼所社長)が、多額の私財を寄付して財団を設立し育英事業を行ったのが始まりです。
初代理事長は、経済的な事情により中学を中途退学し、その後、数々の苦難を不屈の精神で乗り越えて、鉄鋼会社を設立し、民間では日本で二番目の銑鋼一貫メーカーとなりました。
裸一貫から始め、これほどまでに成功できたのは、事業に直接協力してくださった人々はもちろんのこと、やはり諸先輩の方々のご指導と広大な社会国家のご恩恵の賜物と、いつも感謝の気持ちをもっておりました。
何か社会にお返しできることがないかと常々考えておりましたところ、自分が青少年時代に充分に学校教育を受けれなかったつらい思いが蘇り、「世の中には経済的事情で勉学を続けることができない英才が埋もれている、そういう青年が安心して勉学に専念できるように援助し、今まで自分が社会より受けた恩恵の一端に報いたい」との思いで当会を設立いたしました。
当会は奨学金の交付だけでなく、現役奨学生、卒業生相互の繋がりを持つため、会誌の発行、講演会・交流会などを開催し親睦を図っています。設立以来、採用した奨学生は3,000名を超え、巣立った卒業生は広く社会で活躍しています。
顧みて80年前に初代理事長が、報恩感謝の気持ちから播いた一粒の種が、今日まで大きく成長することができました。又、初代理事長の生涯を思い起こすたびに、人は夢を持てば強く生きられるとの思いを痛感いたします。今後も設立の趣意を大事にし、青年の夢の実現への支援を続けていきたいと考えております。
2024年4月
公益財団法人 中山報恩会
理事長 中山景子
文化ノ向上ハ、国家発展ノ根源ニシテ、国民ノ厚生ハ国力伸暢ノ基本ナリ。
今ヤ皇国ハ紀元二千六百年ノ光輝アル紀元ノ佳辰ヲ迎へ、肇国ノ大精神タル八紘一宇ノ皇謨ハ、洽ク世界ヲ光被セントシ国運ノ隆昌窮リナキモノアリ。然リト雖モ今次支那事変以来、曠古ノ大業タル新東亜建設ノ完遂ニ際会シ、国家ノ前途益々多事多端ナラントスルニ当リ、文化ノ向上、国民ノ厚生ニ関スル事業ヲ振興シ、国本ニ培フコトノ最モ緊切必須ナルヲ痛感ス。是レ茲ニ財団法人中山報恩会ヲ設立シ聊カ此ノ種事業ノ振興ニ資スルト共ニ、国家有為ノ人材養成ニ微力ヲ致シ、当中山家累代国家社会ヨリ蒙リタル鴻大ナル恩沢ノ一端ニ酬ユル所アランコトヲ庶幾スル所以ナリ。
昭和15年2月11日
設立者 中山悦治
翁は明治16年(1883年)、福岡県京都郡泉村字竹並(現在の行橋市竹並)に生まれる。中山家は代々庄屋の家柄であった。明治30年福岡県立豊津中学に入学したが、父が米相場に失敗して破産、3年生の折、中途退学の止むなきに至る。以後、農業の手伝い、造船所職工、駅夫、炭鉱事務員となり、日露戦争に出征、復員後再び炭鉱に勤める。その後、石炭の斤先掘(採掘請負)、電気器具行商を経て、八幡製鉄傘下の人夫組であった亀井組の書記となった後、共同で人夫供給業酒井組を起し支配人となる。
大正8年(1919年)、第一次世界大戦の影響による産業の盛況に刺激され兵庫県尼崎に、鉄板亜鉛鍍金業に乗り出す。大戦後の恐慌により事業は一時行き詰まりかけたが、関東大震災の復興需要により危機を切り抜ける。以後順風に乗って大正12年株式会社中山悦治商店を設立し、同13年丸釘製造を始める。
昭和4年(1929年)、大阪市大正区船町に薄鉄板工場を建設する。昭和8年製鋼工場平炉の操業を始め、引き続き線材、厚板、中型工場の操業を開始する。 昭和9年社名を株式会社中山製鋼所と改称する。昭和14年いよいよ翁一代の心血の結晶たる日産500屯の第一熔鉱炉が操業を開始した。これにより中山製鋼所は名実共に八幡製鉄、日本鋼管に次ぐ、日本では三番目の銑鋼一貫メーカーとなる。
昭和16年、第二熔鉱炉が完成し大いに国家の鉄鋼政策に寄与したが、終戦と同時に操業休止の止むなきに至り、産業人として第一線を隠退する。昭和26年死去(享年69才)されたが、正五位勲四等旭日小綬章を追賜される。
生前翁は報恩感謝の念篤く幾多の社会事業に多額の私財を寄附し貢献した。昭和15年(1940年)、私財100万円を投じて経済困難により学業に励めない学生のため、財団法人中山報恩会を設立し、育英事業を開始した。また昭和19年浪速工業学校(現在の星翔高等学校)の経営、昭和21年病院経営の支援にも当り、その社会、国家の恩に報ゆる赤心は誠に顕著なものがあった。
1940年3月 | 株式会社中山製鋼所初代社長中山悦治が私財を拠出して財団法人中山報恩会を設立、初代理事長に就任。育英事業として貸費奨学生の採用を開始 |
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1947年1月 | 戦後の貨幣価値の激変のため事業を一時中止 |
1953年9月 | 戦後の混乱を脱し、事業を再開 |
1953年10月 | 初代理事長が個人的に支援していた病院を吸収し、財団法人中山報恩会住之江病院を開設 |
1960年10月 | 設立20周年を記念して特別奨学生制度(全額給与)を設置 |
1970年10月 | 設立30周年を記念して特別奨学生予約制度を設置 |
1977年4月 | 貸費奨学生、特別奨学生の区分を廃止し、一律に大学奨学生に改正 |
1990年7月 | 設立50周年を記念して大学院奨学生制度を設置 |
1998年12月 | 介護老人保健施設「カルチェ住吉川」を開設 |
2008年3月 | 住之江病院を閉院 |
2012年2月 | 介護老人保健施設「カルチェ住吉川」を廃止 |
2013年4月 | 新制度での公益財団法人中山報恩会に移行 |
2016年4月 | 設立75周年を記念して貸与と給与を折半とする給付基準に改定 大学生の自宅通学と自宅外通学の区分を廃止 |
2017年4月 | 当会学部奨学生を対象に大学院進学者の予約採用制度を導入 |
2020年4月 | 設立80周年を記念して、当会の修士奨学生を対象に博士課程進学者の予約採用制度を導入 奨学金の給与と貸与の配分比率を変更 |
2023年4月 | 奨学金の給与と貸与の配分比率を変更 |
名称 | 公益財団法人 中山報恩会 | ||
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所在地 | 〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋一丁目4番5号(御堂筋ビル10階) TEL:(06)6243-5577 / FAX:(06)6243-5578 | ||
設立年月日 | 1940年(昭和15年)3月29日 | 財団法人中山報恩会を設立 | |
2013年(平成25年)4月1日 | 公益財団法人中山報恩会に移行 | ||
行政庁 | 内閣府 |
役職名 | 氏 名 | 現 職 |
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理事長 | 中山 景子 | 常勤 |
専務理事 | 宮地 茂雄 | (株)関西トラスト会長 |
| 松永 和夫 | 三菱ふそうトラック・バス(株)会長 元経済産業事務次官 |
神余 隆博 | 関西学院大学学長特別顧問 | |
箱守 一昭 | (株)中山製鋼所社長 | |
花木 啓祐 | 東京大学名誉教授 東洋大学名誉教授 | |
木村 彰方 | 東京医科歯科大学名誉教授 元東京医科歯科大学副学長 | |
監事 | 小椋 篤 | 元小椋税理士事務所 税理士 |
番匠 敏直 | 元(株)サワライズ社長 | |
| 河窪 博史 | 大中物産(株)相談役 |
白土 雄司 | 元九州大学大学院・歯学研究院准教授 | |
出口 みどり | エバーグリーン法律事務所代表(弁護士、税理士) | |
千川 勝宣 | 関西観光開発(株)社長 | |
柴田 耕治 | (株)サワライズ社長 | |
齋藤 日出樹 | 三星商事(株)社長 | |
中山 智香子 |
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法人名 | 公益財団法人中山報恩会 |
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住所 | 〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋1-4-5 御堂筋ビル10階 |
地下鉄御堂筋線「心斎橋駅」7番出口から徒歩2分