昭和15年(1940年)初代理事長中山悦治(当時中山製鋼所社長)が多額の私財を投じて財団を設立しました。中山悦治は代々庄屋を勤める名家の生まれでしたが家の破産により中学を中途退学することになりました。その後、いくつも職を変え数々の苦難を不屈の精神で乗り越えて、大正8年、36歳の時に個人経営で亜鉛メッキ作業所を建設しトタン板の製造を始めました。その後事業を拡張して大阪市へ移転し製鉄会社を設立し、昭和14(1939)年7月、念願の溶鉱炉を建設、創業20年で民間では日本で二番目の銑鋼一貫メーカーとなりました。
中山悦治は、若い頃からの夢であった鉄鋼事業が実を結んだのも、先輩や社会の導きのおかげという感謝と報恩の気持ちを常に抱いていました。そして、自身の不遇な青少年時代を思い、経済困難で学資の支弁が困難な学生の支援を行なうことを目的に財団法人中山報恩会を設立しました。80年の長い歴史の中、「我が国文化の向上並びに国民の厚生に資する有用な人材の養成に奇与する」という財団設立の理念は今なお引き継がれ、採用した奨学生は約3000名になります。そして、当会を巣立った奨学生は広く社会で活躍しています。
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